諸行無常や、宇宙物理学者が言うビッグバンのことを考えると、自分たちの存在ははかないんだって思えてきますよね。
最近、月を見ると「あぁ、月は自分だな」っていう感覚がなんとなくわかる。月って、不思議な存在でしょう。空中にぽこっと浮いているわけですよ。地球もそうだし、ほかの星々もそうなんだけど。
はじめは月って美しいなとか、ロマンチックに見てたけど、最近、あれはシンボリックな「もの」として見える。物理学において物質のポテンシャルがまだわからないのと同じで、いつかはまた他の「もの」として現れる。
だから、「ないもの」の世界にも行くし、目に見える「もの」の世界にもいくし。それは、輪廻転生。それはほんとにそうだなぁと思ったね。
この間、面白い本を読んでね。福岡伸一さん、分子生物学者でメガネが特徴的な人。彼が書いた本でね、「命とは動的に変化している様」のことだって言ってるんですよ。
ネズミに放射性同位元素(ラジオアイソトープ)を注射して、エサの分子、粒子、原子がネズミの体の中をどう巡って外に出て行くかという実験をしたんです。きちんと量的にも確かめようということで。注射して、はじめはアイソトープありのエサをやると、まぁ、アイソトープは体の中にとどまりますよね。だけど、次にアイソトープなしのエサを与え続けると、新陳代謝が起きて、入れ替わるんです。一時はアイソトープでいっぱいになっちゃうんですけど、新しいエサを食べていくと、時間とともにどんどん入れ替わって行く。
これ、何を言ってるかというとね、皮膚ひとつにしたって、垢になって古い角質はボロボロ、ボロボロ落ちて行く。そして、これは一瞬たりとも止んではいない。それが生きているということ。ingだから。命って、まさに新陳代謝。進化生物学者はそうやって一生懸命、実験で証明するんだけど、さっき言ったように、仏陀は輪廻転生って、一言で言い切っちゃう。そういうことなんですよ。
その実験のエサにしたって、植物性のものでも動物性のものでも、食物連鎖の中にあるわけで、その頂上に自分たち人間がいるわけですよね。肉も食べるし、植物も食べる。自分の力じゃ獲れないものも食べちゃう。
でも、頂点にいる自分たちも、最後は無に帰してしまう。からだを一回もらったら、一回死ななきゃいけないから。そして、燃やされて二酸化炭素になって、灰、カルシウムになって、分散されるわけですよ。それから1万年サイクルで他の分子に変わって、また何かに取り込まれる。これを繰り返すわけです。まさに輪廻転生。
「意識あるもの」が人の本質だというのは、あまりにも言えてなくて、実際、やっぱり「なにもないことなんだけど、ある」というのが当たってる。ないところとあるものとの境い目がなく、ないんだけどあるっていうのが本質なんじゃないかと思えてきたんですよね。ようやく、最近。
そうすると、あまりにも自分の存在が奇跡的で、超ラッキーで、あまりにも美しくて…。なんだろうなぁ、「よかったな」って思えるんですよ。この一瞬一瞬がとてつもなく大事なもので、楽しまないでどうするっていうことです。だって、もっと長い歴史の時間というものがあるわけで、ないものの世界の方が長いんだから、一瞬の存在って超ラッキーですよ。
生物学的に言えば、生命が誕生するとき、男性の2億とか3億通りの遺伝子と、女性の1個の卵子が出会うわけです。無限分の1の確率ですよね。あまりの分母の大きさ。無限の組み合わせから、セレクトされて生まれてきた自分。これは超ラッキーだなって。
そうなるとね、利休が一期一会、その時その時、この瞬間しかないということを言ったかということを、最近、とても深く思うんだね。それを、なるほどと思った人たち、アーティストだとか、そういう人たちは表現したいんだと思う。
音楽家は音を通して、自分たちの存在っていうのはすごいよっていうのを表現するだろうし、したくなるんだろうしね。小説家は文字を書いて。そこへ到達できた者が大きな喜びを味わえる。そこまで到らないと、せっかく存在という現象を授かっているのに、もったいない。もっともっと、個々の存在というのはすごいこと、選ばれた存在なんだということに、多くの人が気づいて楽しんだらいいと思う。
まず、自分ってすごいと思うところから出発。そう思えるとね、それだけ相手の存在もすごいと思えるしね。
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