店長のひとり言 part7 「一瞬の命と、命の環」

一瞬の命と、命の環

 

 海といえば、海には波が立つでしょ。大海と波はつながってるんだけど、でも、そこから一瞬、波のしぶきが分かれるわけ。分かれてから、その雫が落ちるまで、時間でいうとほんの数秒だけど、これも大きな人の命のリサイクルだよね。
 輪廻転生を考えたとき、人の一生は80年とか90年、まぁ、いまは100年ともいわれてるけど。でも、生まれてすぐ亡くなる人、途中で亡くなる人もいるけど、その大海のうねりの加減だとか、一瞬の動きで早く消える。元の大海に戻るか、あるいは少し波のボトムにあるときは少し長いから…。このうねりの加減だよね。
 だから、それは遅かれ早かれくるってこと。どっちみち元の、ものの本質に還るわけだから、雫になった瞬間としてのいまを楽しまない手はない。波から離れた瞬間を楽しまないで、悲しんだり苦しんだり、あるいは寒い思いや、えらく暑い思いをしたり…。生活のベースを整えてキープするのは基本なんだけど、それが満たされたときに、「あ、しぶきだ」って思わないと。自分がしぶきなんだということをよく理解しないまま、また元の本質に戻っちゃうのがもったいない気がするんだよなぁ。
 一瞬にして光り輝くしぶきなんだから、この瞬間を楽しんでやろう。その気づきと理解が人生を決めるんだと思う。

 

 死ぬ瞬間は意外に苦痛を感じないらしいって? それについて、コンラート・ローレンツっていう動物行動学者が書いてるけど、死ぬ瞬間はドーパミン、つまり快楽物質が出るからなんだね。絶体絶命のとき、どうあがいても殺されちゃうとか、生命が維持できないというときに、苦しいんじゃなくて、それを一瞬にして快楽に変えてしまうシステムがどうもあるらしい、と。

 

 ある人が亡くなって、まわりの人が哀しみや喪失感から立ち直る過程、それは、ホームワークとして残してあるんだろうと思う。自分の場合もそうだった。あれはいったいなんだったんだろうって、わかんなくて。それにふたをして、触らないように触らないようにっていう生活が何十年も続いてて。でも、もっと早くね…、早く気がつくべきだったなぁって、いまにして思うんだけど。ただ、気がつかないままよりはよかったなぁって。

 

 そう思うようになってから、何気ないことがね、とても楽しくなったし、感動してるよね。そういう場面がいっぱい出てきて。
 日課でいつも散歩に行くんですよ、近くの芹が谷公園へ。きれいな林があって、四季折々の色があって、噴水があったり、水が湧いてたり。ここから歩いて15分ぐらいかな。
 散歩に行くたびにね、この一瞬一瞬がいとおしくて。湧き水が流れてるところにまわりの景色が映ってて、その水が風に揺らいだり…。昔はこんなことに気がつきもしなかった。
 最近は、そういう一瞬一瞬がとてもいとおしくて、感動しちゃう。ずいぶん安く上げてるんだけど。

 

 考えてみると、こういうことを言ってる人たちはまわりにたくさんいたんだよね。いつの時代でもすごい人がいるんだけれども、わかったつもりでいたんだよね。でも、自分が経験を積んでみると初めて気がつくんだよね。

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